光の国の話をしよう
彼はアルバムをめくる。
そこには笑顔で写真に映る5歳くらいの少年が写っている。
傍にいるのは光の巨人。
彼はその写真を見て、諦めとも、羨望とも取れるくたびれた笑顔を見せる。
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いつの頃からだろうか?
物心ついた頃にはすでにウルトラマンのビデオを見ていたような気がする。
変身アイテムやソフビ人形を手に彼らの活躍に目を輝かせた。
僕もいつかあんなヒーローになるんだ。
正義という存在に、誰かを助ける存在になるんだ。
幼いながらもそんなことを思っていたような気がする。
それから34年が経った。
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「いつまで待たせるんだ!!!」
そこまで広いスペースではない待合室に怒声が響く。
「モウシワケゴザイマセン!タイヘンオマタセシアシタ!!!」
心にもない言葉を口にしながら投薬カウンターへ飛んでいき、刺激しないよう、少し半目にし、直接目を見ないようにしながら薬の説明をする。
会計を済ませ、まるでふんだくるように薬を持っていき、出ていくのを笑顔を貼り付けながら見送る。
自動ドアが閉まったのを確認し、ため息をつき、貼り付けていた感情を不要になった書類ごとゴミ箱に捨てた。
34年後、僕は薬剤師になっていた。
誰かを助ける存在になるという夢を叶えたという訳ではない。
薬剤師である父に昔から薬剤師になれと言われ続け、なってしまった。という方が正確である。
家の長兄として、安定した職業についてほしいという親としての愛である事も承知している。しかし、他の夢を持たなかったというのも事実だ。
本当に嫌だったら拒否すればいいものの、言い争いが嫌いな自分は薬剤師を目指した。
ありがたいことに理系科目に関しては苦ではなかった自分は多少苦労はしたものの薬剤師にはなれたのである。
なった時は嬉しくない訳ではなかった。家族も喜んでくれたし、何より、幼い日から憧れた「誰かを助ける存在」になれたのだから。
だが、現実は残酷であった。
冒頭のようなことは珍しいことではない。
「いや、10分も待ってないじゃん」
記録を書きながら、どれくらい待ってもらっていたのかを確認する。
多少怒鳴られるくらいなら逆に容易いものである。
時には耳を疑うような罵倒をされる事もあるし、「お会計」以外の一言も発さない人もいる。
医療の安全を確保する上でお話を聞きたいのであるが、そうなってくると自分達にできることは「諦める」だけである。
記録を書き終わり、次の服薬説明の準備をしようと胸元からペンを取り出す。
ウルトラマンティガの描かれたボールペン。
以前、池袋で毎年やっているウルトラマンEXPO サマーフェスティバルで買ったものである。
今年ももうそろそろ夏だなぁ。
そんなことを頭の片隅に考える。
もちろん全ての患者が薬剤師に対して怒声を浴びせたりする訳ではない。ほんの一部だ。
だが、そのほんの一部の、心無い声は、あの頃、目を輝かせていた少年の目を濁らせるには十分であった。
いつの頃からだろうか?
気付いた頃にはすでに「人は皆、助けるべきであろうか」と考えてしまったような気がする。
変身アイテムやソフビ人形を手に彼らの活躍に目を輝かせた日々は、人を刺激せぬように、ただ、こなしていくだけの、日々に上塗りされていった。
僕が思い描いたヒーローとはなんだろうか。
正義という存在は、誰かを助ける存在ことなんだろうか。
薬剤師を経て数年、いつの間にか、そんなことを思っていたような気がする。
人からの恐怖にいつの間にか、人間自体を嫌いになりそうになってしまっていた。
自身の大好きなウルトラマン達が好きだった地球人を…
だけど、そうならず、踏みとどまらせてくれたのがウルトラマンであった。
先述したウルトラマンEXPO サマーフェスティバルには毎年行っている。
ウルトラマンショーを見るのが毎夏の楽しみである。
時代を超えて活躍するウルトラマン達、全力で応援する子供達。
その空間は自分の忘れていたことを思い出させてくれる。
その瞬間だけは、自分が憧れたヒーローになることをもう一度、目指させてくれる。
ウルトラマンティガの描かれたボールペンはそんな瞬間を仕事中でも思い出させてくれるように買ったものだ。
人は光になれる。
自分がウルトラマンティガが関わってくるセリフの中で1番好きなセリフである。
たとえ、闇を抱えていようとも、どんな状況であれ、人は、志せば、光になれる。
それが本当かどうか、そうなれているかどうか、正直、自分にはまだわからない。
ネガティブな自分に負けてしまうことも多々ある。
それでも、ずっと負けている訳ではなく、何度も立ち上がる。
あの頃、目指した、光の巨人のように。
服薬説明の準備を終え、ボールペンを胸元のポケットに戻す。
子供の頃と同じような光の輝きはないけれど、まだ、心の中で輝き続けている。
それを忘れぬように。
一息つき、次の服薬説明へ向かった。
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光の国。
それはウルトラマン達の故郷。
自分たちの世界には存在しない。けれど、きっと遠い宇宙で光り輝いている。
いつか彼らに顔向けできるような、自分の目指したヒーローになれる日を目指し続ける。
そのためにも、光を忘れぬように、今年も彼らに、会いに行こう。
そろそろバスの時間だ。
アルバムを閉じ、出かける準備をする。
目指す地は池袋、彼らの待つ、光の国。
○○の話をしよう。 感想

今回は
○○の話をしよう。
を拝見してきました。
普段は考察を踏まえ感想をいうことが多いのですが、今回はあえて自身の感情を中心として感想を書きたいと思います。
今回のお話しで公開情報としてテーマは
覚悟、価値、家族
3点です。
自分はこの3つに対して、言葉を選ばずにいうなら、逃げて生きてきました。
特に「家族」というものから自身は逃げて生きてきた、と思っています。
自分は薬剤師という仕事をしています。
薬剤師になるにあたって色々な理由があります。
その、大元は、父に薬剤師になれ、言われ続けたことがきっかけでした。
自身もいつの間にか薬剤師にはなるのであると思い続けて生きてきました。
そして今、実際に、薬剤師になれています。
これだけ聞けば夢が叶ったように聞こえますが、そうではありません。
僕は3兄弟の長男です。父には長男として弟にとって立派な兄であれとも言われてきました。
そう言った中で、立派な兄とは何かとなった時に薬剤師になることが、その兄としての理想像を作るための解ではないかと考えていたのです。
事実、薬剤師になった時に、家族は喜んでくれました。
けれど、その裏では自身は逃げて逃げて逃げすぎていました。
正直、自身の本当の夢は未だにわかりません。
自身を自分として貫く「覚悟」から目を背けました。
人生を自分の、自分を表現して生きる道としての「価値」を探すことを諦めました。
今でも時折、現在の選択が、正しかったのか、自分はどうすればいいのかがわからなくなり、希死念慮で蓋をしてしまうことがあります。
ある意味ではこれが自身の人生を生きる上での処世術であるとも言えるのかもしれません。
本音を言えば、いつも大事な人に、大事な人であればあるほど、心配をかけてしまう自分が嫌いです。
それでも、不器用ながらに生きて行かなければならない、とも感じています。
そう思う中で、今日のお話を見ることができました。
本当に今日の話を見れてよかった。
と思います。
今までたくさんのお話をみせてくれたいっつんと春樹、新たな世界を開いてくれる名川さんと村田さん。
4人が魅せてくれたお話は心を少し救ってくれたような気がします。
背中を押してくれた、というよりも、
足元を気をつけて!上見てみろ!!!いい景色だぞ!!!下ばっか向いてんなよー!
と言われたような気がします。
覚悟って誰だってできることで、誰でもできることじゃないんだなと感じました。
おちゃらけている様に見えながら、しっかり視野を広く持っている春樹らしい、覚悟の見せ方だなと思います。
己を明るく見せる覚悟、何かを犠牲に進む覚悟は彼らしいなって思います。
価値は特別であることが大事なのではなく、それが日常で探すことが大事だと感じました。
村田さんの演技は本当にその世界にいて読み聞かせを聞いていて頭の中で物語を作り上げているものが目の前にあるようで見入ってしまいました。
ファンタジーの世界観でありながら、その世界自体は現世に本当にあって、想いもそこに存在していることをひしひしと感じました。
いっつんの見せてくれた家族の話では自分は泣いていました。
感動した、というよりは、自身の肯定をされたような気がして、ほっとしたのと、家族は一定じゃないことに心が動かされたのかもしれません。
いっつんの優しさにはいつも助けられていますし、彼女はいろいろな優しさを持っていると思っています。
今回もその優しさの1つを見せてもらった気がします。
最後の○○の話。
あれは熱いハートを持った名川さんだからできる話のような気がします。
彼のXを見ていて1つ共通点がありました。
3.11の際にヒーローに救われている点です。
自身は3.11の際に自身の大好きなウルトラマンから学んだことを書き出したのを覚えています。
もしかしたら、どこかで親近感を感じている彼が見せた、繋がっていく事の大切さには心を打たれました。
物語が誰かに影響を及ぼすということは、誰かの人生は誰かに生かされている、生かされあっているということであると感じました。
今日は自分が演じてくれた4人に生かされた1日でした。
この記事の前半では自分のことですがとてもネガティブなことを書きました。
でも最近ではようやく少しだけ、ほんの少しだけポジティブに生きるコツを掴めてきた気がします。
そのコツも大事な人が生き方を教えてくれたことによる者です。
これも、人生は誰かによって生かされている、生かし合っているということなのかもしれません。
今日も1番大事な人に「ポジティブ思考で頑張れよー!」と送り出して貰いました。
言ってもらえることを裏切らないよう、1番大事な人の人生にいい影響をあたえる生かし合える人間になれるよう、生きていきたいと思います。
来週からは今年も下半期です。
12月くらいには自分の〇〇の話をできるよう、頑張って、上を向いて頑張りたいと思います。
では、また。
今北産業: 今週のお題「春に食べたいもの」

春に食べたいものといえば桜餅
ところで最近暑くなるのが早すぎて
春のシーズンものがいつ終わるかが分からない
カレー食う人

新生活が始まって1週間くらい経つ。
今までよりは忙しくないが、うまくいかない事ばかりだ。
レジ締めなんかもやった事がないから、1から教えてもらわないといけない。
頭の容量がないので何回かやらないと覚えない。
今日も手取り足取りでなんとかできたくらいだった。
今日は晩ご飯にカレーを食べた。
秋葉原の割と有名な立ち食い蕎麦屋のカレーである。
カレーはいい。疲れいても、気落ちしていても、匂いでお腹が空く。
めちゃくちゃ美味しいわけではない味が感情を動かさなくて逆に助かる。
ふと、前を見る。
黒いプラスチックの壁にはカレーを食べる34歳が映っている。
いつのまにか、老けたな、と思う。
中学生の頃のように、楽しい事は大好きだ。
でも、目の前には、辛気臭い顔でカレーを頬張る男がいる。
弱音を吐きたくなるが、カレーで流し込むしかない。
人を不安にさせたくないが、させてしまう言葉が溢れそうになる。
それでも、飯で蓋をして、働いて、働いて、消化して、やり切るしかないのだ。
カレーを食べたら少し元気になった。
スマホを見れば推しが笑っている。
明日も、なんとか、やり切ろう。
プラスチックに映る男は、年相応に笑う。
今北産業:今週のお題「おやつ」
会社では食欲が湧かない自分
ご飯どころかおやつなんて食べられない
だから、おやつは休みの味

結婚って、国が定めた幸せじゃないっすか?
自分は今年で34歳である。
独り身であり、かつ、女性と付き合った経験はない。年齢イコールげふんげふんと言った具合である。
20代の頃は焦りがあったものである。
だが、34歳になった今は、まぁ、いいよねー、位の感想しかない。
恋愛自体は素敵な事だと思う。
この多様性の時代。多種多様な恋愛があるが、その一つ一つにストーリーがあり、愛しみあっていることは、美しいことだ。
ただ、美しい、と言う感想が自分から出てくることを鑑みるに、恋愛というイベントに対して自身は鑑賞する対象である、つまりは、他人事であるとしか認識できなくなってしまっているのだ。
こうなった一員として結婚というのが自分の身の回りから外の理であっただと思う。
知り合いで結婚というイベントを起こす人間が少ないのと、あまりいい思い出がない。それゆえに、生活を送る中での視野の外にいたのだと思う。
だが、最近、結婚というワードを目にするようになり、再度、考えるタイミングがあった。
再度、考えてみたのだが…その時も、まぁ、人が幸せになるのはいいことだよねー、位の感想しか出なかったのである。
その時に、なぜ、20代に感じた焦りがなくなったのかということも考えた。
これは要因の一つであると考えるが、何者かになりたかった、というのが要因だと思われる。
結婚ということに関してDVや不倫など悲しいニュースが流れてくる世の中ではあるものの、結婚というもの自体は、「特定の個人に愛される者として定義される」というイベントであると考える。
また、日本人は存在に意味を持ちたがる民族であり、存在の定義は安定、ひいては、幸せにつながると考えられる。
その中で「結婚」というイベントは何者かになる上に、幸せになれるという、絶好のイベントなのである。
と。ここまで考え、更に、深掘りしてみた。
じゃあ、なんで、結婚が幸せ、って思ってしまうのだろうということである。
これは極論であると思うのであるが、
国が幸せのロールモデルとして結婚と取り入れた上で運営を行っているからだと思われる。
国として産休が取りやすくなったり、子育て世代が手当をもらえたりすることはとても良いことである。
小は国の宝であるし、今後も日本を継続させるという意味では子孫繁栄は必要事項だ。
そのための法律も整備され、良い世の中になっていると思う。
その一方で、所謂、「独身税」が導入され、独り身には厳しくなっているのも、事実である。
このように、日本を持続させるためにも「結婚」する方が幸せであるというロールモデルの上に国は運営され、その上で我々は生きているので、結婚が幸せ、って思ってしまうのだろう、と考える。
ここまで読むと大きく2つの意見が出るだろう
1.じゃあ、結婚はまやかしの幸せなんですか?
2.結婚しない方の幸せを選ぶことは間違ってるんですか?
この2つである。
SNSなどで、たびたびこの2つの意見で過激な意見を言っている人を見る。
今回は締めに自身の意見を述べて終わろう。
知らねーーーーーーー!!!!皆、自由に幸せになってーーーーーー!!!!
最終的にであるが、結婚という手段は幸せになるための権利であり、選択肢の1つである。
その1つの選択肢を選び、手段を取るもよし、取らず、他の手段を選ぶもよしなのだ。
この多様性の時代に、1つの選択肢だけで言い争うこと自体がナンセンスである。
結婚自体は国が定めた幸せの1つである。
が、それを選ぶ権利を持つのは、本人なのである。
人はそれぞれに幸せになればいい。
自分はそう思うのである。
