最後の部品 感想

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本日はハラグチリサ様ご出演、主催

 

最後の部品

 

を拝見してきました。

 

久々の初めていく劇場。

参宮橋トランスミッション!!

トランスミッションのあたりがテンションが上がります。

 

今回はラッキーなことにSS席が確保でき、最前列ってどれくらい最前なのかなーって思ってたんですが、、、

ほぼゼロ距離だー!!!

だって!足先!!舞台に触れてる!!!

距離が近すぎて逆にどこみたらええんや…ってなりました笑

だって、皆様ビジュアルが良すぎる。眩しい!!

 

お話の内容はとても自分の人生に刺さるテーマでした。

人の命は有限であるからこそ美しいと思います。ですが、終わりが来るということは辛く悲しいことです。正直な話、人を失う悲しみというのはできれば味わいたくないです。ですが、人類というものが繋がりに感情をもつ生命体である以上、それは難しいでしょう。

自分は今回、1人の人間としてはカオルに、1人の医療人としてはロキに共感できました。

医療人の仕事というのは人を生かす仕事です。その仕事はある意味では生きたくもない人間の胸元を掴んで生かせる仕事でもあります。それは永遠がないことを知っているから、死が身近にあるからこそ生きていてほしいと願う理念でもあります。

今回出てきたカオル、フロラ、ロキの現時点で機械人形の生成に携わったと思われる人物3人は死と永遠に対する意識の割合が異なるのだと思います。

カオルはミーシェを通じて10割近い信心で永遠を、フロラはアオを生成したことにより死と永遠が表裏一体していることを理解し半々で死と永遠を、ロキはカオルの病を通して死というものに対して全意識をむけているのだと思います。

ロキの大拙な人の死を目の前にしているからこそ死と向き合い、それでいて、永遠がないからこそ、今を生きていてほしいという気持ちは痛いくらいに理解できます。生きることを諦めている人に前を向かせようとするのは自身も苦しくなってしまいます。もしかしたら、その人にとって敵になってしまうかもしれません。ですが、大切な人にはそれでも生きていて欲しいのです。

また、1りの人間としてはカオルのことも理解できます。

死に関する病としては少し系統が違うかもしれませんが自分はあまり精神的に強くありません。それゆえに、死を意識してしまう時もあります。

昔はもし自分がいなくなったら誰も覚えていない世界が理想でした。ですが、とある時期から大切な人が増え、もしも、いなくなっても覚えていてほしいという人もできました。ですが、それも永遠ではありません。それゆえにカオルの自分をずっと忘れないでいてくれる人、自分をずっと愛してくれる人が欲しいという気持ちが痛烈に理解でします。

ですが、ラストシーンからも分かるようにずっと想っているということは、相手にずっと自信がいないという悲しみを背負わせてしまうということです。自分を大切にしてくれる人を残して逝くということはそういうことなのです。それゆえに、永遠とは歪であると言えるでしょう。

人は痛みがあるからこそ変化します。痛みを負うということは多かれ少なかれ傷を得るということです。痛みは確かに悲しい気持ちになります。ですが、それはやがて瘡蓋になり、痕になり、痛かった記憶だけが残ります。もしかしたら、痛かったことすら普段はあまり思い出さないくらいになるかもしれません。自分は誰かのことを想う、想われる痛みとはこのような痛みでいいのではないかと今回の舞台で思いました。

永遠に傷から血を流すのではなく、後に残った思い出をたまにでいいので思い出せるくらいの痛みが自分は良いのではないかと思いました。

推し語りに行きます!!

さて、今回のハラグチさんもビジュアルが最強ですてきでしたね!!!

SS席のブロマイドが美麗すぎてこれは家宝だぁ!!ってなりました。

しかも、今回はSS席演出で舞台中でいじってもらったのですがロキ・モナ・ヨナの3人が目の前にバーン!!最強ピンク!!って感じでうっかりしていたらビジュアルがいい!!!!!って叫んでいるところでした。(あんまり見下ろされることないから新鮮…!!)

今回の舞台を拝見して改めて想うこと、想われること、の愛おしさ、辛さを改めて感じました。

想うことの辛さを誰かに経験させないために、誰かを想うことを続けるためにもう少しこの先も現世で頑張ろうと思います。

では、また。