くものまにまに 感想

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本日は福士 真未様ご出演

 

くものまにまに

 

を拝見してきました。

 

久々の朗読劇の拝見はとても楽しみでした。

 

今回、自分がこの舞台から感じた事は

エモーショナルの消費社会

という事です。

 

現在はXやYouTubeに始まり、TikTokなどありとあらゆるコンテンツで簡単に発信が可能になりました。そして、それは人の心を揺さぶるような事柄が簡単に摂取できるようになったとも言えると思います。 

 

人の感情を揺さぶるコンテンツは世に広まりやすく、承認欲求の糧になりやすいと考えられます。それゆえに、より感情を揺さぶりやすく、訴えかけるような物事が量産されてしまい、簡単に消費されているのが現代であると思うのです。

 

これは正しい、正しくないという議論は難しいと思います。人の心を惹きつけたり、奮い立たせる事が身近にあるというのは、生きている希望になり得ます。

 

ですが、喜怒哀楽が容易く得られてしまい、軽視されてしまっているは一つの問題と考えられます。

 

今回のお話の中で社長が危惧したのは、その現代であると思います。

 

それゆえに感情を「造る」ことによりこの世界をより豊かにしようとしました。

 

ただ、それは決して正解ではないと思います。

 

結局はボアやカシミヤ、アルパインは商品になってしまう予定でした。

 

たった一体の試作品を作り上げるという簡単に消費する社会には反する非合理な方法でありながら、最終的に目指したのは商品としての量産と消費でした。

 

無いから「生む」のではなく「造る」という事は一時的に満たされて、その場しのぎにはなります。

ですが、それはその場のみのことです。それを維持するには造り続ける必要があるのです。

そしてそれはいつか量産と消費に繋がってしまうのだと思います。

 

人造人間を作っている会社が人を消費としか考えていないと思われる描写ではないか?というので自分が気になったのはボアルートに進んだ後の話です。

社長はボアの望んだ者たち全てを世にだす、という話をしました。

ですが、この話の中には吉井博士だけ出てきません。ボア自身は自己犠牲を厭わない心が優しい子です。実際、吉井博士以外は豪徳寺博士も含め生存が確認できました。

では、なぜ吉井博士が出てこなかったのか?

これは選ばれなかった吉井博士は処分されたのではないかとおもうのです。

要は失敗作を作ってしまった上での処置でしょう。失敗作を作るような人物は不要であると判断したのではないでしょうか。

また、実は博士候補は何人かいて人造人間を作るたびに記憶を消されている可能性もあります。高杉博士もハムカツ屋から博士になったのではなく、もとは博士であり実験に携わって記憶を消されハムカツ屋として生活していたのではないかと思います。

もしかしたらですが、娘が亡くなって、それゆえにボアを製造したという事でしたが、その記憶すら作られている、また、亡くなった娘が先代のボアであり、さらなる成功のために、会社が先代ボアを殺し、さらなる成功品を作り上げる事を目論んだ可能性もあります。

これらを繰り返し、成功品を作り上げた博士を残していき、より良い商品を生み出すために不要なものは処分するという、人を消費としか見ていない組織ではないかと思うのです。

 

自分は今回、ボアを見てとても好きなキャラクターだなと感じました。自己犠牲気味な精神も共感できますし、直線的ですがちゃんと自分なりに周りを見る心は羨ましく思いました。

一番好きなのはしっかりと愛で「育まれた」キャラクターであったという点です。他の2人の博士は理念で造っていましたが、高杉博士は愛で育んでいたのだと思います。それゆえに3体の試作品の中で喜怒哀楽がはっきりしており、ある意味、1番人間臭いキャラクターであると思うのです。

 

今のこの世界には感情を消費するのではなく、ボア達のように「育む」ことが大切なのだと思います。

エモーショナルが大量に溢れた世の中だからこそ、ただ、浪費するのではなく、自身の中にしっかりと根付き、育て、蔑ろにしないことが大事だと感じました。

 

今回の福士さんは最近のかっこいい感じとは違い、天真爛漫で可愛らしいキャラクターでした!!

思いやりもありながら、楽しさも忘れない姿はある意味では福士さん自身の感じとも相待ってとても素敵でした。

ボアルートでは人を想う言葉の熱量にずっとうるうるして……

久々に全力ギャグも見れてよかったです笑

 

そういえば、今回はTシャツも買いました!

福士さんのデザインらしいよ!!かわいい!!

ジム着にしよう!!

 

では、また!