INOCENTGARDEN プロとコントラ 感想

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本日は福士 愛美様ご出演

INOCENTGARDEN

ミヤビ様ご出演

 プロとコントラ

を拝見してきました。

久々のはしごでの観劇です!

 

今回は2作品拝見しましたが、どちらも悲劇であり、結構精神的に抉ってくる感じで面白かったです。

 

それぞれネタバレせず感想を記したいと思います。

まず一作目、INOCENTGARDEN

こちらはとある時代を背景にし、それぞれの価値観を問う物語でした。

この時代背景ではまだ奴隷制に近しいものがあり、貴族との差が激しいものになります。

また、宗教の観念が大きく貴族を支配しており、それにより、信仰者こそが正しいと思われている世界です。

そのため、無神論者や宗教に反するものは異端である扱いを受けます。

考え方によっては前時代的な、しかしながら、貴族を大多数に、宗教を思想に置き換えればどこにでも起こりうる話ではないかと思いました。

日本という国は不思議なもので仏教が身近にありながら、信仰者というと少し特殊がられる国です。逆にアメリカなどでは今回取り扱われたキリスト教を進行し、信仰者であることは比較的不思議なことではありません。また、インドなどに目を向ければ毎日定期的にお祈りをする熱心な信仰者でいることの割合が多い国です。

そして、ここで興味深いのが信仰とは教えであり絶対的なのかということです。例えば日本では多神教の状況であり、信仰は様々です。それ故に自分の信じる神(あるいは、信念ともいえるでしょう)の教えを信じることになります。そのため一言に仏教といっても様々な考えが成立します。しかしながらキリスト教では唯一神をイエスキリストとしているため、考え方は1つになります。

言い方はよくないかもしれませんが、神を信じれば教えが1つなので悩まなくてもよいということになります。

ここで、注目すべきがINOCENTという言葉です。

この言葉は無垢という意味が含まれます。自分が考えるにここでいう無垢とは教えを信じればすべてがうまくいく、絶対的かつ疑わない思考を指しているのだと思います。

このお話の中ではステパンが一番無垢だったのではないでしょうか。キリストを信じるが故にその他のすべての考えを否定し、教えのみを絶対とする人物で、たとえ、どのような結末になっていてもキリストを信じていました。それ故に子供たちとの関係は良好とは言えません。正直、親と子が仲が悪いというのはこの世の最悪なことの1つです。しかしながら、ステパンはそれすらも教えには向かう息子たちのせいにしていたのです。人間は親であるべきことと、信仰者であることのどちらが正しいのでしょうか。その答えを島してくれたのがユリアであると思います。神は見えませんが、親は実際に子に接する一番の人物です。いまは多彩な親子関係がありますが、それでも思考や教養を身に着けるために親というのは子供を導くべき存在なのではないでしょうか。それはある意味、信仰者と神の関係に近いのかもしれません。また、自分が面白いと感じたのはポーレンカとリーザの無神論者の違いです。神を信じないがゆえにい己の信念を確立したポーレンカ、神などいないがゆえに己が神になろうとしたリーザ。正直、どちらもどこかで苦しみが伴う人生になるでしょう。ポーレンカは自身の考えを自分で探さなければならず、リーザは己で宗教を立ち上げるがごとく、また、立ち上げた信念を曲げられず、その信念を信じないものと敵対しなくてはならない。そのような苦しみがある中で彼女たちが出会え、手をつなぐことができたことはとても素敵なことなのではないかと思います。神を信じなければ、己を信じなければならない。それは自分への信仰か、それとも、進みゆく道の開拓か。それは自分で決めるべきなのかもしれません。

2作目はプロとコントラです。

この題名はラテン語で「肯定と否定」「賛成と反対」を示すそうです。この物語は結婚観と恋愛観の話であったと思います。正直に言うと、精神的にかなりグロテスクな話しだったと思います。人間は生まれながらに多かれ少なかれどのような形であれ恋愛をするものです。それ故に近しい存在であるといえます。ですが、その近しい存在が己を傷つける刃になることは十分にあり得ます。現代でも色恋沙汰で殺傷事件につながるなど悲しい事件が後を絶えません。恋愛が己を傷つけるようになること。それは、常に己の首にナイフが突き立てられているのと同じ状況です。正気を保つことがむずかしいことは想像に難くありません。実際に今回の主人公であるシャーロットは病んでしまい悲劇的な最後を迎えました。また、恋愛というのは劇薬です、もしくは、覚せい剤のようなものであるといえるのかもしれません。そして、もう一つ、恋愛をしているということ、もしくは、結婚をしているということは一種のステータスになってしまい、ただ行われていることに意味があり、パートナーのことをないがしろにしてしまうという一面もあります。ロドルフはその劇薬に身を浸し、チャーリーはステータス欲しさに動いてしまったのだと思います。

ただ、お互いが愛し合っていればいいのか、というのもまた難しい価値観です。レオンはシャーロットに亭主がいることを承知の上で手を出しています。現代でも不倫は報道され、民衆がどんなに悪口を言ってもいいと思い込んでいるコンテンツの1つです。今回は古い時代のため、貞操観念からもよりそのような観点が強いと考えられます。それがばれてしまった場合、それは恐ろしい責め苦を追うのでしょう。今の「炎上」とは違った恐ろしさがあります。それでも踏み切っていしまうということは地雷原に足を踏み入れるのと同じです。もしくは燃え滾る業火に身をなげるとでもいいましょうか。それは正しいことではないのでしょう。

プロとコントラで一番つらかったのは狂っていく過程が丁寧に描かれていながら、その景色を感激した人の想像力にゆだねるところにあると思います。自分も今抱えている問題と一部クロスオーバーして結構しんどくなりました。

今回2つ悲劇を感激させていただいて、1つ気が付いたことがあります。それは、悲劇とは自分の手を汚さない人生体験であるということです。また、登場人物たちの人生は結果をリセットできませんが、舞台化から学んだ自分たちはそれをこれから生かすことができます。そういった意味で悲劇とは学びの1つであると感じました。

さて、推し語りです!!

まずは、福士さん。

事前情報で起こりっぱなしのお母さんということは聞いていたのですが、かなり毅然とした気高い思想を持ったお母さんでしたね。ですが、気高いだけではなく思慮深くもあり、最後にステパンに親とはなんであるかを説くシーンは涙が出ました。芯に優しさを持っている部分は福士さんに通ずる部分がありましたね。また、かっこいい福士さんの一面が見れてうれしかったです。

そして、ミヤビさん。

いつもはかっこいいキャラですが、今回はほっぺに渦巻きかいているし、コメディーリリーフ的なキャラかなーと思っていたら、良い意味でだまされました。恭二様とは違った狂気じみた考え。その考えが露見するまでシュールなシーンがあったりしたので、最後に語るシーンでは底知れない悪意でコワイ…ってなりまして。ミヤビさんの新たな一面が見れたと思います。

ほかにも、

相変わらずいい意味で胡散臭い山中さん。重苦し空気を換えてくれる松永さん。某ブラックとトナカイしか知らないからかっこいいぞ!?船津さん。

そして、久々に小手鞠さんの演技を拝見しました。やっぱりアクションかっこいいですね!!アナスタシアの神秘的な雰囲気も素敵でブロマイドとチェキ買っちゃった。

 

今回は本当に魂を引き込まれました。その分、いろいろな悩みに聞いてくれたと思います。

 

また、拝見しに行きたいです。

 

では、また