東日本大震災から今日で10年がたったそうです。
10年。一つの節目。
自分も当時を振り返ってみましょう。
災害の話です。見ていて辛い方は無理せず消して、温かいお茶でも飲んでお休みください。
さて、今から10年前、当時は大学1年生でした。
春休みでやることもなく、昼寝でもしようかと思ってウトウト眠りに落ちる頃だったのは鮮明に覚えています。
はじめは自分が揺れているのだと思いました。地震と分かっても、そんなに大したことはないだろうと思っていました。
ですが、明らかに普段と違う揺れ方をし始めたとき、はじめてコレはやばいんじゃないかと思い部屋を飛び出しました。
当時は父は単身赴任、母は外出中、三男は小学校に行っており、当時、中学生だった次男と二人きりでした。
当時を振り返ると次男と共通となる見解が1つあります。
人は恐怖を感じすぎると笑うしかなくなる。
実際に、大きくなる揺れに命の危険を感じる中、僕と弟はずっと、怖いと言いながら、爆笑をしていました。
しばらくして、揺れが収まり、いざ逃げようとなった時、自分が寝間着姿であることに気づきました。
まだ、3月。体を冷やさないためにも上着を持ってこようと自室に戻り、扉を開けました。
いや、実際には開けようとしました。
しかし、開かないのです。ドアの枠でもゆがんだのかと思い、少々強引にタックルするかのごとく無理やり扉をこじ開け、私は戦慄しました。
さっきまで自分が寝ていた場所が、本棚の下にあったのです。
その時の自分の部屋には木製の本棚が2つありました。どちらも本でぎっしりです。
その本棚が2つともちょうど真横に部屋に倒れておるのです。
もし、逃げる判断が遅れていたら...ゾッとします。
その後、弟の上着を無理やり着て、逃げたのを思い出します。
幸い、スマートフォンは部屋から出るときに握りしめていたので、家族とは連絡が取れました。電話がつながって泣きそうなくらい嬉しかったのは後にも先にもあの時ぐらいでしょう。
その後、家族と合流し、家に帰り、テレビをつけ、その状況に驚いたのは言うまでもありません。
僕が震災で怖かったのはその日の夜でした。寝ている間にまた同じ揺れが来たらどうしよう、父親がいないから自分が頑張らなきゃ、そんなことを思っていたような気がします。
幸いにも、翌日に単身赴任中の父が帰宅する予定でした。
ですが、その日の夜は寝ずにテレビとラジオ、ツイッターで情報にかじりつくように過ごしていたのを覚えています。
その当時、まだツイッターは個人アカウントが多かった時代でした。顔も知らないような人たちががお互いに励ましあっているのは、心の支えになったものです。
そういえば、自分はだれが編集したかもわからないウルトラマンのまとめ動画をツイートしたのを覚えています。そして、ウルトラマンから学んだことを書き連ね、頑張ろうと自分と誰かを鼓舞していました。
やがて、夜が明けました。夜は明けるものだ。初めて、そう実感したものです。明るくなることがこんなにうれしいだなんて。泣きそうになるのをこらえ、そう、感じました。
その後、父が帰宅し、自分がやっと寝たのが午前9時。安堵で落ちるように眠ったような気がします。
幸いなことにその後、東京では大きな被害がなく、自分も大学2年が始まり、日常へ戻っていきました。
そして、今日、10年が経ちました。
自分はどうにか国家試験に合格し、薬剤師として、ぐだぐだと働いています。
日々、仕事に対する不安や不満と戦いながら生きています。
私生活では、この1年で仲良くしてくれる人が、増えました。
そして、応援したい人ができました。
その人のおかげで、今日も自分は希望を捨てずに生きていけます。
ずいぶん、生き方も変わりました。
珈琲を淹れ、カレーを作り、デザートを焼き、写真を撮り、何でもかんでも作ったり。
そして、推しを心から応援したり。
幸せな日々です。
これからも日常は続きます。
このブログに書いてある記事のように。
記録なんて大層なものじゃありません。日記なんて綺麗なものじゃありません。
ただの雑記。そう、雑記です。
会いたい人がたくさんいます。
行きたい所がたくさんあります。
そのためにも、日常を生きていくのです。
日常を支えてくれている人に感謝を。
どこかで、誰かのために戦うあなたに祝福を。
今日を生きるあなたに感謝を。
もしもの時の備えも見直して、今日も1日を過ごしたことを祝いましょう。
では、また、会いましょう。