OZの魔法使い 前日譚

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本日はハラグチ リサ様ご出演

OZの魔法使い 前日譚

を拝見してきました。

 

今回は王子小劇場

...王子に小劇場があったのか。

最近、王子に時たま行くのですが全然知りませんでした。

 

小劇場、どこでもあるな。

 

今回のお話しはなぜ人が悪人になってしまったのか。というお話しでした。

悪人の道を歩むのにもいろいろな理由があります。野心のため、保身のため、信仰のため。そして、愛のため。総じていえば、己側守りたい「何か」のために人間は悪の道に走るのではないかと思います。ですが、それはいばらの道です。今回の登場人物たちは自身が悪の道を歩いているという自覚があったうえで悪の道を進んでいました。それは容易なことではないでしょう。

グリンダ、オズワルド、ロシーヌ。それぞれは時と場合さえ違えば善良な市民として生きることができた人間であると思います。然し、立場というものがそうさせませんでした。

オズワルドはとても強い人物として他国のものに恐れられていました。それは、彼の策略であったのでしょう。そしてそれは成功していた。ですが、オズワルドを強い人間という認識は他人だけではなく、自身への暗示であったのではないかと思います。最後のほうのシーンにロシーヌの命を救おうとするグリンダに自分は何もできないとつぶやくシーンがありました。もしかしたら、それこそがずっとオズワルドが抱いていた本心なのではないかと思います。彼は公私ともに国に身をさげてきました。他国に名をとどろかせるほどの仕事をしたのでしょう。そして、それはロシーヌを守るためです。ですが、その本当の願いも忘れ去ってしまうほどに彼は仕事に野心に熱中していました。それは、一種、オズワルドという人物が「弱い」人間であったからだと思います。「弱い」ゆえに寝食をわすれ仕事に没頭し、自身の望みを打ち消すように野心を燃やしたのだと思います。序盤に彼が何とかするから胸の言葉を発するシーンが何回かありました。それは、自身へ向けての言葉であり、「弱い」自分への暗示だったのだと思います。最後、慟哭する彼の姿、それこそが、本当の彼だったのでしょう。

自身への暗示という点ではそのほかにもあり、この作品のメッセージの1つではないかと思います。

ロシーヌと赤子の命を救うために奮闘する自身へ「頑張れ」というグリンダ。自国のために何をすべきか、それは自身しか成し遂げられないと考えているロシーヌ。ある意味では自己犠牲的な自己暗示であると思います。

自分へのエールは決して悪いことではありません。ですが、度が過ぎる場合は自滅への道を歩ませ始めます。そして、それに付け入るものも出てきます。

エルファバ、アダパール、イヴリンはいわゆるそのような部分に付け入り、傾国させてきたのかもしれません。自身の暗示を増幅させ、他人への欺瞞を育てる。ある意味で、策略に使うにはもってこいでしょう。それを意識的にできるのがエルファバであり、無意識にしてしまったのがイヴリンなのだと思います。アダパールは少し毛色が違う気がしました。彼女は少し天然なところがありますが、気持ちを入れ替えたスケアにちゃんとそのことを話させるなど強い一面あります。知略には富みませんが、とにかく後押ししてみるタイプなのではないでしょうか。前の国はよくないところを押されて傾国したのかもしれません。然し、スケアのようにタイミングが良ければ改善点や長所を伸ばすことのできる女性なのだと思います。逆にタイミングが悪ければ...というある意味では一番魔性なのかもしれませんね。

悪人にも一言では済ませられないエピソードはたくさんあります。然し、そこを掘り下げれば、悪人は悪人であるべきだったのかという事もできます。自身が何を成すべきに善人になるか悪人になるか、それは本当に正しいのか、正しいと思い込んでるだけではないのか、そんなことを考える作品でした。

さて、推し語りです。

ハラグチさんとってもかわいかったですね!!!!なんかふわふわしているけど、ちゃんと芯はありそうなアダパールを演じられている姿がとてもキュートで素敵でした。よく考えたらあの世界ではめちゃくちゃニコニコしていた気がします。...国王の次くらいに。

今年も城主様の素敵なお姿がたくさん見れるとうれしいですね!!

では、また。