「雪月風花小品集」 感想

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本日は星 秀美様ご出演

「雪月風花小品集」

を拝見してきました。

 

考えると久々に星さんのお姿を生で拝見するのでとっても楽しみでした。

最近インナーカラーを入れたのをTwitterで拝見したのですが、実際に見るとめっちゃかっこよかったです。

今回も早めに会場へ行くとなんかあるということでしたが…うん、なんかというか、ネタバレになるので上手に言えませんが、いる。星さんが注意事項を離されているがなんか起きてる…これから行く方はぜひ早めに行きましょう。

自分が拝見した感想として感じたのは「願い=呪い」のお話だな、ということです。誰かに何か願うということは、こうなってほしいという呪いをかけるということでもあると思います。時と場合によって完全なイコールではないとは思いますし、どちらかの割合が大きくなることもありますが、それらは表裏一体です。

今回は4つのストーリーがあったのですが自分はそれぞれ

【春】「aurora」:言葉

【夏】「フェイギン」:認知

【秋】「かぐや」:羨望

【冬】「白い魔女」:幸せ

の願いと呪いが込められているように思いました。

言葉は簡単に人を縛り付けることができるものの一つです。あなたにこうあってほしいという願いを一言いえばその人を固定し呪うことができます。他人同士では効力は薄いですが、お互いの関係性が深くなるほどその力は増していきます。ですが、言葉はお互いを信頼しているからこそ鋭利に、また、より本質的になっていくものです。

次に認知は己への呪いでしょうか。言い換えれば先入観というやつです。例えばいい人が悪いことをしたら何かや無負えない理由があるのではないかと思われますが、逆に、悪い人が良いことをすれば何か裏があるのではないかと疑われます。つまりは思い込むことで対象の人物が行った行動の理由を勝手に裏付けてしまう。これは願いより呪いの側面が強いと思われます。

羨望に関しても先入観といえることができます。この人みたいになりたい、こんな風になってみたいというのは決して悪いことではありません。しかし、視野が狭くなってしまい、その人と同じ人物になろうとなってくるとそれは自身を縛り付けます。また、羨望は、阿古ばれの人に比べて自分なんて…という卑下ににつながります。卑下は一度始まってしまえばなかなか抜け出せず、次に進めない呪いのなりうるのです。

最後に「幸せ」です。これが一番厄介です。一番厄介な点は己の幸せが他人の幸せではないという点でしょう。自分がこうしたら、あなたがこんな行動をとれば幸せになれると願い、善意でいったことだとしてもそれは自身が願った幸せの中に相手を閉じ込めてしまうことになるのです。幸せの範囲円が同じであればそれは問題はありませんが、全く重なっていなければそれはお互いを不幸にします。

今までの述べてきた願いと行動のすれ違いを回避するにはどうするべきか...

自分が思うにさらに四季を繰り返せば解決できるのではないかと思います。

幸せとは何かをお互いの言葉で語り、言葉をもってして互いの認知を確かめ合う。認知を確かめたうえでお互いの良いところは羨望し尊敬の念を持つ。そうすれば幸せに知被けるのではないかと思います。

今回は演劇の世界の話でしたが、正直いつ自分たちに起こってもおかしくはありません。

そういったうえで今日のお話しは己が何を望み、何が呪いとなって縛り付けているかを考える良い機会となりました。

始まったら本当に一瞬でしたが、余韻としてずっと残る素晴らしい舞台でした。

どこかで今日の登場人物のその後なんて見てみたいですね。

では、また。