明日からのその前に

現在は2/21 21:30 

明日から最推しが始まる。

今日は一日、そのことを考えながら仕事していた。

今回の舞台は自分の推し活人生初めてで全通という選択をした。

明日から4日間と考えると長そうできっと短い道のりである。

別に自分は出演するわけでもない。4日間、荻窪に行き、座っているだけだ。

そのはずなのに、なぜか心が浮きだってしまっている。

そんなわけで、気持ちを書き出すべく、この文を書いている。

 

ここまでは書けた。けれど、さっきからここから先の文章を書いたり消したりしている。

今、書きたいことが多すぎるし、うまく書けないし、上手な言葉が出ないなぁ。と思いながら、ふと自分の卓上の棚に目をやった。

そこには自分が初めて買った三時さんの写真や福士さんのチェキ、表情さんのお祝い札、虚さんのカレンダーなどいろんな思い出がある。

思い返せば、大切な人がたくさん増えた。

推しだけでではない。

同担や友人、Xで仲良くしてくれる人達。

相手はどう思っているかは別として、今の人生に欠かすことのできない人たちばかりだ。

たくさんの人が自分を助けてくれた。

今でも、皆の助けがなければ上手に生きていないだろう。

そして、それを失ってしまうことは自分の一番怖いことでもある。

そのためには自分は何ができるだろう、とずっと考え続けているのも事実である。

たまに、自分のことを優しいといってくれる人がいる。

多分、優しいというよりも人とのつながりを断ち切りたくないだけなのかもしれない。

対人類に対する愛情の表し方が不器用なのであると思う。

それ故にいつも精いっぱいだ。

下手なりに努力をしてどうにか大事な人であると伝えたいのである。

それ故に空回りしてしまう時もあるだろう。

人のことを心配しすぎる、いらぬ心配をすることもある。

だけど、どうにか大切な人がこの世で少しでも健やかに幸せに過ごしてほしいのだ。

最近、うまくつかえなくなった言葉がある。

頑張って、無理しないで、という言葉だ。

ずっと頑張っている、タイミングによっては無理することも必要であるのは重々承知だ。

だから、これ以上言っては失礼なんじゃないか、余計なひとことなんじゃないかと思い

あまり使わないようにしている。

その代わり、信じている、のはなるべく伝えるつもりだ。

どちらにせよ、おせっかいなんだろうと思う。

暴力的な言葉にはなるが

自分はどうなってもいい。大切な人が幸せならいい。

という言葉になってしまうかもしれない。

きっと、こういうことを書くとまた心配してくれる人がたくさんいるのだろう。

上の文章を書くときに自然に「たくさん」と書いてしまった。

昔だったら考えられないことだ。

本当に良い人生を歩ませてもらっている。

これからも大切な人を大切にしたい。

伊藤三時という存在はその中の最たるものなのだろう。

この人に出会えて本当に良かったと思う。

美人で、笑顔が可愛くて、話していると楽しくて、たまにびっくりするようなことするけど、この人がやることはすべてが愛おしく、応援したくなる。

自分もいまだに上手く言えないが、言えることは

大好きで、推してよかった。これからもずっと。

という、文章である。

 

この先はどんな言葉を探せばいいだろう。

そんなことを考えているが、結局は大好きに行き着くのではないかと思う。

 

明日から4日間が幕を開ける。

三時三だけではなく、どうか、この4日間にかかわるすべての人が幸せでありますように。

 

では、また。