後日談、というか今回のオチ

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「19:01 」

17:40くらいから始めた終業に向けた作業をやっとひと段落させ、退勤を登録したら、もうそんな時間だった。

1時間の残業か。

今日は比較的早い時間に帰宅できそうだ。

ここのところ、終わり時間の対応が相次ぎ、これくらいの残業なら気にはならない。

後輩と少し雑談をした後、帰路に着く。

ありがたいことに自分は職場から家まで5〜10分くらいしかかからない。

イヤホンをして好きな音楽を聴きながらお茶でも飲んでいたら、あっという間に着いてしまう。

今週が始まって二日目。

さっさと帰り、明日の準備をすればいいものの、今日は全く違う方向に歩いていた。

目的はただ一つ。

ライフガードを探す。

というだけである。

あなたが目撃者、から数日後たったある日、ひぐちさんが前説で使った青汁を劇中のセリフを使ってポストした事を発端にした飲み物探し。

それが思いの外(というかいつのまにか)盛り上がってしまい、気付けば、皆が探し回っているような状況になってしまった。

その中でもなかなか見つからなかったのがライフガードである。

自分としては、まぁ、あったらいいんじゃないか?くらいのテンションだったが(まずもって青汁も探したわけじゃなかった)、皆、走り回って探してしまい、いつの間にか、見つけてないのが自分だけになっていたのである。

諦めても良かったのだが、何となく、あれー?これ自分も探す系ですか?となってしまい、今日に至るわけである。

今日は寒く、雨が降り、低気圧という、自分には厳しい天候であった。

しかしながら、今日探しに行こう、と思ったのは、あなたが目撃者、という作品が雨と強く印象が結ばれているからだろうと思う。

荻窪に通った4日間のうち3日間が雨だった。

ひどく寒い一本道を劇場に向け歩いたものである。

特に初日はいろんな感情が混じり合い、通い慣れた荻窪小劇場への道が遠くに感じられものである。

あの日々よりは少し気温の高いが降りしきる雨の中、ライフガードを探して報告するだけ、これだけのために家の前を通り過ぎ、店を目指した。

あまり傘を刺すのが好きではない自分はフードを目深にかぶり、歩く。

自分の家の近所に業務用スーパーとドラッグストア、スーパーが集まった場所がある。10分ほど歩くがそこならあるだろうと思い向かう。

だが……

ない!

ない!!

ない!!!

予想以上にないのである。

業務用スーパーなぞは注視してみないとスールーする謎飲料は沢山あるのにライフガードだけないのである。

唖然としながら店を出て、どうしよう……と考える。

1分ほど考え、そういえば目の前が商店街である事を思い出した。

商店街なら自販機も店もあるはずだ。とりあえずしらみつぶしにすればなんとかなるはずである。

ただ、商店街ではあるが、いわゆる下町の商店街だ。夜には閉まってしまう。

暗くなり商店街を寒く、バラバラと降る雨の中、ひらすら行進する。

去年から痩せて寒さに弱くなった身体が冷え、指先の感覚は無くなりかける。

思ったよりも何もない商店街が恨めしい。

商店街の出口に近づき、そういえば、中高の頃によく行っていた100円ローソンがあるのを思い出した。

最近、売ってなくても、この先に行くには腹ごしらえが必要と思い、立ち寄る。

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あったのである。

飲み物を見つけて感動したのは昔、スターウォーズのボトルキャップがおまけについていたペプシを探し回った時以来だ。

暖かい店内と相まって少し力が抜ける。

側から見たら変なテンションでライフガードの写真を撮る変人が爆誕したのである。

とりあえず、一本手に取り、お腹も空いたので、イカ耳を買い、外に出た。

人通りのない商店街を背景にライフガードの写真を撮る。

後にも先にも感慨深くライフガードの写真を撮る機会なんてないだろう。 

そうして、舞台の内容的にはジャーキーの方が良かったかな?なんて考えながら、イカ耳を食べながら家に帰ったのである。

家に帰ったのが20:01。

ぴったり1時間の散策であった。

買ってきたはいいもののダイエット中ゆえ飲めないライフガードを見ながら今、この記事を書いている。

明日も忙しいくせに何やってんだ自分と思うが、まぁ、楽しかったから良いか、という心地だ。

舞台初日からもう直ぐ2週間経つのに、今日も誰かが、あの日々の話をしている。

目で見る景色は違うから、それぞれが目撃したものは同じではない。

しかしながら、思い出を分かち合う日々はとても尊いと思うのだ。

また、明日も忙しい。

いつもより1時間早くアラームをセットして、明日に思いを馳せ、この話は終わりにしようと思う。

あなたが目撃者 考察

あなたが目撃者 考察

 

・あなたが目撃者:とは

表題の通り、あなた自身、つまりは観客が目撃者である。この物語自体がラストに岡住描いていた小説の世界である。そのため、小説の読者≒観客ということになる。

・なぜ岡住は小説を書いているのか。

小説家は実体験しかけない。つまり、小説の中の事件は起こっている事件である。全く同じではないが概ね同じ事件を岡住が行っている。そしてそれは現在進行形で行われている出来事である。

⭐︎7人も容疑者がいない。

小説内での犠牲者は死者としては約3人。最終的にオカスミは逮捕されている。しかし、実際には白木は殺されており。小説内の登場人は計4人、その後、3人が殺されていると考えられる。つまり、小説を編集者に出すまでが計7人の容疑者(犠牲者)。

台本上では内藤圭吾は『ナイトウケイゴ』

実際に岡住に兄がいる可能性もあるが物語の中の傾向としてカタカナの人物≒概念であると思われる。自身の考察の過程としてナイトウケイゴ=編集者ではないかとも思われる。

内藤が兄である場合

現在も内藤の周りにいる女性をなんらかの方法で排除している。現在も恋ごころは変わってはいない(兄である内藤を異性として認識したのが中〜高校生、そのころのきもちがかわらないのでオカスミはセーラー服を着ている)

ナイトウケイゴが編集者である場合

学生の時に小説を書き、何かしらの賞をもらえた際についた専修者である。初めての編集者であるため、依存心が強い。(学生時の頃からの依存心のためオカスミはセーラー服)。この際の小説の女性とは編集者が他に担当している作家。依存心を恋ごころと錯覚し、犯行に至る。

・小説を書く理由とオカスミについて。

ラストの、

「兄は殺されました〜…』

の繰り返しの件で岡住からオカスミに変わるように、この小説内の岡住はオカスミであると思われる。ある意味ではオカスミが小説を書いているとも言える。

オカスミが小説を書く理由としては、自身の中で最終的には兄or編集者に現在行っていることがバレてしまう。もしくは、自分の気持ちを気付かれる(小説内では感ずかれているが、現実では気付かれていないと思われる)。そうなってしまうと小説の最後のように殺してしまう可能性があるので告発文として小説を世に出している。これにより目撃者(読者)に気がつく人が現れ、自分を止めて欲しいと思っている。

 

ストーリーテラーは何者か。

右頬の模様が同じであるため、同一人物(オカスミ)であると考えられる。

それぞれが兄に対する想いであり、以下のように分かれる。

オカスミツミキ(小説を書いている方)

→兄or編集者愛する自分

ストーリーテラー

→兄を独り占めしたい自分

そのため、兄or編集者を愛すること独り占めすることを肯定するために最初はストーリーテラーはオカスミを肯定している。

最後、オカスミに対して怒りを露わにしているのは告発文を出すことにより自身が独り占めしようと犯罪を犯していることを世に出し、独り占めできる状況を崩そうとしているからである。しかし、一通り怒った後に再び肯定するのは愛する心を失わないため。おやすみ、というのは独り占めするための殺人衝動をオカスミに止められないためである。

総論

このお話は現在進行形で起きてしまっている事件を止めてもらうために告発文を小説として書く1人の人間の話であり、愛しかたは1つではないが、それを間違えると人は殺人もできてしまうということである。

 

上記が、今の考察となる。

なお、新規公開情報をもとに加筆予定。

 

R6.3.3

考察が書けない。

非常に珍しい事態である。

だけど、一週間経った今日もどこかで誰かがこの舞台の話をしている。

ある意味ではロスになった空間を皆で埋めようとしているのかもしれない。

そういう自分も写真を眺め胸がいっぱいになり、この文章を書いている。

ストーリーテラー=ナイトウケイゴ

に関して考察を少し。

上記に関してはストーリーテラーの正体の正解である。

では、何故、オカスミの精神世界にいたのか?

である。

これは自身の考察であるが、岡住は内藤を食べたのではないか?と考えている。

そもそも、オカスミとは何者か?と考える必要がある。

自分はオカスミと岡住は別人物であると思う。

正確に言えば別人物になってしまった。

では、ないだろうか。

本来は二重人格のようなものであり、一つの体を2人で分け合っていると思える。

しかし、他者の肉を食らう事でオカスミの中に他者の人格が蓄積され、最終的には別人格になってしまっていると思われる。(黒井を食べたので白木は水族館の記憶を持って狂ったので食べたものの記憶が移行する世界と思われる)

内藤を殺す経緯に至るのは何故か、も考えたい。

オカスミが取り込んだのは内藤を「愛した」女である。基本的には過去形なのである。ゆえに食べる時点では内藤に捨てられており、少なからず内藤には恨みがあるのでないだろうか。これらの肉体を喰らい精神に蓄積していった結果、最終的に内藤を殺したのではないか?と思う。

オカスミが岡住を大好きなのは多重人格の自分である自己愛という面もあるが、それに加えて、内藤から愛されるべき自分を大好きであるとも考えられる。

内藤を食べたものの自身とは別にしたい(ナイトウには自らを愛してほしい)ゆえに別個体として精神世界に存在したのではないか思われる。

精神世界ゆえに自身を愛するように解釈は曲げられるはずだが、元々取り込んでいた内藤を「愛した」人々の解釈から暴力性を持ち合わせた不安定な個体となり怒りなども表していたと考えられる。

 

※自分の話

 

自身が目撃したのは。

 

自分が目撃した事。

それはこの4年間の集大成ではないかと思う。

4年前に三時さんを推し始めてからたくさんの人と出逢った。

良くしてくれる人が殆どだ。

イジってくれる人もいる(上手い返しは出来ないが実は嬉しい)。

あの4日間はみんなが居た気がする。

自分が大切にすべき世界が本当にキラキラしてちょっと眩しいけど愛おしい。

そんな毎日だった。

本当の事を言えば、4日間を終われば生きていて悔いはないはずだった。

しかし、新たな友人、知り合いも増え、まだこれからも生きねばと思う。

いつもは推し語りをするが今回は伝えたい事を伝えたので無粋ゆえ、やめておく。

 

願わくば人生最後の日にこの日々を思い出しますように。

 

では、また。

明日からのその前に

現在は2/21 21:30 

明日から最推しが始まる。

今日は一日、そのことを考えながら仕事していた。

今回の舞台は自分の推し活人生初めてで全通という選択をした。

明日から4日間と考えると長そうできっと短い道のりである。

別に自分は出演するわけでもない。4日間、荻窪に行き、座っているだけだ。

そのはずなのに、なぜか心が浮きだってしまっている。

そんなわけで、気持ちを書き出すべく、この文を書いている。

 

ここまでは書けた。けれど、さっきからここから先の文章を書いたり消したりしている。

今、書きたいことが多すぎるし、うまく書けないし、上手な言葉が出ないなぁ。と思いながら、ふと自分の卓上の棚に目をやった。

そこには自分が初めて買った三時さんの写真や福士さんのチェキ、表情さんのお祝い札、虚さんのカレンダーなどいろんな思い出がある。

思い返せば、大切な人がたくさん増えた。

推しだけでではない。

同担や友人、Xで仲良くしてくれる人達。

相手はどう思っているかは別として、今の人生に欠かすことのできない人たちばかりだ。

たくさんの人が自分を助けてくれた。

今でも、皆の助けがなければ上手に生きていないだろう。

そして、それを失ってしまうことは自分の一番怖いことでもある。

そのためには自分は何ができるだろう、とずっと考え続けているのも事実である。

たまに、自分のことを優しいといってくれる人がいる。

多分、優しいというよりも人とのつながりを断ち切りたくないだけなのかもしれない。

対人類に対する愛情の表し方が不器用なのであると思う。

それ故にいつも精いっぱいだ。

下手なりに努力をしてどうにか大事な人であると伝えたいのである。

それ故に空回りしてしまう時もあるだろう。

人のことを心配しすぎる、いらぬ心配をすることもある。

だけど、どうにか大切な人がこの世で少しでも健やかに幸せに過ごしてほしいのだ。

最近、うまくつかえなくなった言葉がある。

頑張って、無理しないで、という言葉だ。

ずっと頑張っている、タイミングによっては無理することも必要であるのは重々承知だ。

だから、これ以上言っては失礼なんじゃないか、余計なひとことなんじゃないかと思い

あまり使わないようにしている。

その代わり、信じている、のはなるべく伝えるつもりだ。

どちらにせよ、おせっかいなんだろうと思う。

暴力的な言葉にはなるが

自分はどうなってもいい。大切な人が幸せならいい。

という言葉になってしまうかもしれない。

きっと、こういうことを書くとまた心配してくれる人がたくさんいるのだろう。

上の文章を書くときに自然に「たくさん」と書いてしまった。

昔だったら考えられないことだ。

本当に良い人生を歩ませてもらっている。

これからも大切な人を大切にしたい。

伊藤三時という存在はその中の最たるものなのだろう。

この人に出会えて本当に良かったと思う。

美人で、笑顔が可愛くて、話していると楽しくて、たまにびっくりするようなことするけど、この人がやることはすべてが愛おしく、応援したくなる。

自分もいまだに上手く言えないが、言えることは

大好きで、推してよかった。これからもずっと。

という、文章である。

 

この先はどんな言葉を探せばいいだろう。

そんなことを考えているが、結局は大好きに行き着くのではないかと思う。

 

明日から4日間が幕を開ける。

三時三だけではなく、どうか、この4日間にかかわるすべての人が幸せでありますように。

 

では、また。

INNOCENT LABYRINTH 感想

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本日は福士 真未様 ご出演

INNOCENT LABYRINTH

を拝見してきました。

 

今年初めての福士さんの舞台です。

今年も完走できるよう体調にきをつけて推し活を頑張りたいと思います。

 

さて、今回のお話はロシアのモスクワと現代の2つの時代を舞台にした物語でした。

 

この話のテーマとしては「屈曲した愛情表現」であると思います。

恋愛自体は行うのは難しく、人の感情というものを鑑みるに嫉妬や嫌悪などみにくい感情も渦巻きますが、それでも美しい面もあるものです。

ですが、それも正しく、道を間違えない、恋愛をおこなってこそだと思います。

ここでいう、正しいとは、お互いに好意を持っており、愛を育んでいける状態としてください。

現代において恋愛の形は多様性をんでいます。それらに対して否定的な意見が出ているというのも確かです。しかしながら、それらは「正しい」恋愛であれば基本的に人が口を出す問題ではないと考えています。(そもそも、他人の恋愛というもの自体があまりよそものが口を出すものではないですが…)

しかし、過去の時代、いわゆる貴族など家柄など面子が重視される世界では恋愛というものは一筋縄ではいかないものなのでしょう。過去の時代の主人公、ウエンディはまさしく、時代に翻弄された恋愛に挑んでいったものであると思います。

そして、現代、恋愛はとても自由になっていきました。しかし、自由になっていくということは、それを利用するものも出てくるのです。自由というものは責任が伴います。そして、その責任はときに己の心にのしかかり、壊してしまうのです。そのような責任に蹂躙された恋愛を選んでしまったのが、清水まどかなのだと思います。

なぜ、この2人が解離性同一性障害として1つの魂になってしまったのでしょうか。これには感激した方一人一人の考えがあると思います、

なので、ここは自分としての考察を述べたいと思います。

自分としてはいわゆるウェンディの時代の話。過去のロシアでのお話は全てまどかの妄想であったのだと思います。ただ、蓬来に騙されて心が壊れてしまったことにより発生した世界ではないとも思います。人間、誰しも頭の中で自分の空想の世界を作り上げたことはあるのではないでしょうか、例えば、小説を読んでみて、自分だったらいた様な世界観でどのような話を作るかなど空想した人もいると思います。元々はその様な世界だったのだと思います。また、まどかがロシア文学に触れ始めたのは姉の自殺後です。それゆえに、己の世界に引き篭もりたいという意味も込めて自身が思い描いた世界を作り上げていたのだと思うのです。もしかしたら、蓬来に出会うまではウェンディの物語は家族に恵まれ、アレクセイに恋をする幸せなお話だったかもしれません。しかし、蓬来と出会ってしまったことにより、壊れてしまったのだと思います、ロシアはナポレオンの侵略によて崩壊しました。これは、まどかの心に蓬来が侵略し、めちゃくちゃにしたこととリンクしていると思います。この話にはナポレオンは登場しませんが、ある意味、蓬来がナポレオンだったのではないでしょうか。

唯一、過去の時代と違ったのはかずまがいたことです。過去の世界、いわゆる、まどかの頭の中の世界ではウェンディの理解者はおらず、また、死別しています。これは、自身の理解者はいないと思っていることの暗喩だと思います。しかし、かずまという存在がいた。これ自体は、まどかもわかっていたことだと思います。それゆえに、施設へかずまを招いたのでしょう。しかし、否定しようとまどかは無意識に思ってしまい、ウェンディは一人ぼっちになってしまったのだと思います。しかし、理解者がいるということをまどかのもう一つの心であるウェンディはわかっていた。だからこそ、ウェンディはまどかに道を示し、それでいいのかと問い続けたのだと思います。

さて、推し語りです・

福士さんは今回もお母さんでしたね!!でも、今回は怖くなかった(笑)。娘の幸せを大切にする可愛らしいお母さんでした。(みんな、丸くなったって言ってますね(笑))実際、白い衣装がよく似合い、素敵で可愛らしいお母さんでした!そして、福士さんのステッカーをゲットしました。自慢しよう。

現代はいろいろな恋愛が成立する世の中です。それゆえに、正しく、悔いのない恋愛をしたい、そう思える舞台でした。

OZの魔法使い 前日譚

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本日はハラグチ リサ様ご出演

OZの魔法使い 前日譚

を拝見してきました。

 

今回は王子小劇場

...王子に小劇場があったのか。

最近、王子に時たま行くのですが全然知りませんでした。

 

小劇場、どこでもあるな。

 

今回のお話しはなぜ人が悪人になってしまったのか。というお話しでした。

悪人の道を歩むのにもいろいろな理由があります。野心のため、保身のため、信仰のため。そして、愛のため。総じていえば、己側守りたい「何か」のために人間は悪の道に走るのではないかと思います。ですが、それはいばらの道です。今回の登場人物たちは自身が悪の道を歩いているという自覚があったうえで悪の道を進んでいました。それは容易なことではないでしょう。

グリンダ、オズワルド、ロシーヌ。それぞれは時と場合さえ違えば善良な市民として生きることができた人間であると思います。然し、立場というものがそうさせませんでした。

オズワルドはとても強い人物として他国のものに恐れられていました。それは、彼の策略であったのでしょう。そしてそれは成功していた。ですが、オズワルドを強い人間という認識は他人だけではなく、自身への暗示であったのではないかと思います。最後のほうのシーンにロシーヌの命を救おうとするグリンダに自分は何もできないとつぶやくシーンがありました。もしかしたら、それこそがずっとオズワルドが抱いていた本心なのではないかと思います。彼は公私ともに国に身をさげてきました。他国に名をとどろかせるほどの仕事をしたのでしょう。そして、それはロシーヌを守るためです。ですが、その本当の願いも忘れ去ってしまうほどに彼は仕事に野心に熱中していました。それは、一種、オズワルドという人物が「弱い」人間であったからだと思います。「弱い」ゆえに寝食をわすれ仕事に没頭し、自身の望みを打ち消すように野心を燃やしたのだと思います。序盤に彼が何とかするから胸の言葉を発するシーンが何回かありました。それは、自身へ向けての言葉であり、「弱い」自分への暗示だったのだと思います。最後、慟哭する彼の姿、それこそが、本当の彼だったのでしょう。

自身への暗示という点ではそのほかにもあり、この作品のメッセージの1つではないかと思います。

ロシーヌと赤子の命を救うために奮闘する自身へ「頑張れ」というグリンダ。自国のために何をすべきか、それは自身しか成し遂げられないと考えているロシーヌ。ある意味では自己犠牲的な自己暗示であると思います。

自分へのエールは決して悪いことではありません。ですが、度が過ぎる場合は自滅への道を歩ませ始めます。そして、それに付け入るものも出てきます。

エルファバ、アダパール、イヴリンはいわゆるそのような部分に付け入り、傾国させてきたのかもしれません。自身の暗示を増幅させ、他人への欺瞞を育てる。ある意味で、策略に使うにはもってこいでしょう。それを意識的にできるのがエルファバであり、無意識にしてしまったのがイヴリンなのだと思います。アダパールは少し毛色が違う気がしました。彼女は少し天然なところがありますが、気持ちを入れ替えたスケアにちゃんとそのことを話させるなど強い一面あります。知略には富みませんが、とにかく後押ししてみるタイプなのではないでしょうか。前の国はよくないところを押されて傾国したのかもしれません。然し、スケアのようにタイミングが良ければ改善点や長所を伸ばすことのできる女性なのだと思います。逆にタイミングが悪ければ...というある意味では一番魔性なのかもしれませんね。

悪人にも一言では済ませられないエピソードはたくさんあります。然し、そこを掘り下げれば、悪人は悪人であるべきだったのかという事もできます。自身が何を成すべきに善人になるか悪人になるか、それは本当に正しいのか、正しいと思い込んでるだけではないのか、そんなことを考える作品でした。

さて、推し語りです。

ハラグチさんとってもかわいかったですね!!!!なんかふわふわしているけど、ちゃんと芯はありそうなアダパールを演じられている姿がとてもキュートで素敵でした。よく考えたらあの世界ではめちゃくちゃニコニコしていた気がします。...国王の次くらいに。

今年も城主様の素敵なお姿がたくさん見れるとうれしいですね!!

では、また。

誤解のBar〈2階目〉 感想

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本日は星 秀美様ご出演

誤解のBar〈2階目〉

を拝見してきました。

 

今年も観劇はじめです。

去年に引き続き、1月に星さんの舞台を拝見出来て、うれしく思います。

 

会場は慣れ親しんだ三栄町Live!目をつむってもいけ…地下鉄をいつもと逆の出口から出て一瞬道に迷いました。

 

お話しの内容としては誤解を抱いた人間の誤解を解いたうえでその先の生死の選択をするBarのお話です。

 

かなり人の負の感情や闇に落ちた人間から見た光の憎らしさに関する内容でかなり心の深いところに刺さる内容でした。

 

しかし、正の感情だけでは生きていけないのが人間です。光が差せば影ができるように、陰と陽が表裏一体になるのが人間の感情です。それ故に、感情を少しでも抱いてしまう、意識、無意識関係なく考えてしまうのはある意味では仕方ないといえます。

 

今回の負の感情のテーマは「承認欲求」「誹謗中傷」「強迫観念」であったと思います。間違った方法でもいいから人から認められたい、自分よりもすぐれたものをけなしたい、自身や他人はこうでなくてはならない・そうにちがいない。文字で書けばそれは間違っていると簡単に気付くことができます。しかしながら、思念となると制御がむずかしくなるのが人間であると思います。自分の脳や感情というのは都合よく考えてしまうもので、自分はそうじゃない、自身だけは当てはまらないと思ってしまうのです。

 

それが「誤解」へとつながります。

 

一度、始まった誤解は自身では正すことがむずかしいものです。そして、その誤解を解くために必要なのは人の言葉であると思います。自分が考えるになぜ今回の登場人物のほとんどが自身の誤解に気付けなかったかは周りに人がいなかったからではないでしょうか。自身の世界に酔い間違えた夢の追い方をした者、自身の殻に閉じこもり明るい世界を憎み拒んだ者、自身の助けになりたいという人の手をはねのけ敵視した者。誰もが採取的には一人になってしまっています。そして、最後は身を滅ぼしました。

 

今回のマスターはそんな人達のいわば「居なかった人」だったのではないでしょうか。

現実世界には居なかった人、この世ならざる空間だからこそ存在できる人物であったと思います。もっと正確には「居るはずだった人」とも考えることができます。素直に他人の言葉に耳を傾ければアドバイスをくれた人はたくさん「居るはずだった」のです。しかし、間違えた道を歩み続けてしまった。そんな人々を導くマスターの言葉は鏡合わせであったと思います。誤解というのは信じている本人にとっては正の考えです。しかし、それを解く言葉は負になってしまいます。ある意味ではナイフより鋭く、闇よりも深いです。今回は強制的に触れなければなりませんでしたが、現実では恐怖を持ってしまうのも仕方ない一面もあるでしょう。けれど、今回の舞台を通して、そんなことを言ってくれる人の大事さ、時には向き合うことの大切さを感じました。

 

さて、推し語りです。

今回の星さんはフリフリで可愛かったですね!!その可愛い感じで人の感情の柔らかいところを抉り演技が良い意味で怖かったです。あと、ライブシーンだけ眼鏡かけてた。それも可愛かったです!!!!!あとブロマイドのチャイナ服めっちゃいいよね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

そして、日向さん。某所の受付でよく拝見していますが、演技されている姿を拝見するのは久しぶりです。暗い、怖い、少しずつ狂気じみてくるところがこちらもいい意味で怖かったです。あと、相変わらずかっこよかったです。

 

さて、今週からイベント通いも始まりました。

 

今年は健康に気を付け、いろいろなところに行きたいと思います!

それでは。

今日の日記 ダイエットの区切り

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今朝体重を測ったら80kgを切っていた。

これで実測値として40kg痩せた事になる。

約8ヶ月かかったのだ。

ひとまずは暖かくなるまで、現在の値をキープし、暫くは筋トレに重きを置きたい。

今日はBCAAを買った。あと、サプリ。

今日の筋トレはこちら。

プランク1分半

腹筋40回

ツイストクランチ80回

相撲スクワット40回

歩数7947歩

明日は大変な1日だ。

頑張ろう。