うるゲキ

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10分休憩をとったので2本目を書きます。

 

2本目は福士 真未様ご出演

 

うるゲキ

 

です。

 

待望のナシカ座を拝見出来ました!

 

ひぐちさんが出てて、いーなー、面白そうだなー、見に行きたいなー、福岡かー…手なってたナシカ座さんがついに待望の東京公演!

福士さんも出るし、実は観劇を始めた時から知ってる役者さんで(初めてがネメシスの箱庭)、時折拝見する小川さんも出てるし楽しみでした。

 

結構タイトなスケジュールかな...と思ったのですが、劇場が駅から近くて、わかりやすくてよかった…

 

今回は9個のお話しが連なるオムニバスだったので、それぞれ話していきましょう。

 

・想いで

若年性アルツハイマーのお話でした。今回、いろいろなお話しがあり、それぞれが良かったのですが、職業的に刺さったのがこのお話しでした。いまだに、確立した治療法は未完成で、現治療も基本的には悪化を遅らせるといったことが基本のアルツハイマー。あの病気にはいろいろな側面があります。高齢者によっては最終的には死の恐怖すらわからなくなるという点も在り、人によっては治療が正しいことなのか?と問うこともあります。自分も曾祖母や叔母が患ったのちのなくなっており、また、大学の研究で一部携わったこともあり、感慨深い疾患でもあります。確かに、家族との思い出は消えてゆきます。ですが、それをどうとらえるか。そこに関しては本当に人それぞれでどれが正しいなんてことはありません。今回の夫のように笑顔でふるまい続けること、それは本当につらいことでしょう。いつか、自分も忘れられてしまうかもしれないのですから。最後にはなにが残るというのか。悲しいけど美しい、桜のような作品でした。

 

・兄貴

兄弟の差ってありますよね。自分もそんなに優秀ではなく、何方かというと社交的なことが苦手で事なかれ主義です。実は次男は社交的、三男はきちんとNO!が言える人間です。それ故に劣等感を抱いたこともあります。今回の兄はずーっと幸せを願っていたのですよね。劣等感ではなく、自分よりも弟に幸せになってほしい。そのためのヤクルトでした。弟は兄がいるから幸せにはなれないと感じていたのですが、ヤクルトを捨てていたのは自分。幸せを捨てていたのは自分でした。最後に拾い上げた幸せで彼らにはどんな未来が待っているのか。とても気になる作品です。

 

・判を押すとき

夫婦って難しい...自分はパートナーというものに巡り合ったことがないので何とも言えませんが、他人と一緒に住む。添い遂げる。というのはどれだけ難しいことかは想像を絶します。そこにいる人を大事にしなければいけない。大事にするためにやることをやらなきゃいけない。けれど、いつの間にか、やってることの目的を見失って、やることが主題になってしまう。そして、大事なものを見失う。はじめはちょっとしたすれ違いでも、線が長くなっていけば離れる距離は長くなっていってしまう。けれど、手の届く範囲ならば...やり直せる。そんなことを感じさせてくれる作品でした。

 

・大丈夫

大丈夫とは怖い言葉だと思っています。結局は問題解決を包み隠しているだけの言葉になってしまうからです。信じて、願って、自分さえそうだと思い込んでいれば、自分が傷ついて、知らないフリをすれば大丈夫。そんな、風になってしまうと、最終的には自己犠牲に走ってしまいます。最後に彼女はアクセサリーを選び、花は置いていきました。そして、彼は花を大事に抱きしめました。愛を信じているのは彼だけ、大丈夫とおもっているのは彼のみ。そんな悲しい未来、悲しい泪を感じる作品です。

〈追記〉

見た人には伝わると思う話。

例のシーンですが、わぁぁ!!!ってなり、明言しないでおこうと思いましたが、どうだったか聞かれたのでここで書いてしまいましう(その場では何と答えたらいいか迷った)。

とてもエッチだったと思います!!!!

 

・恋の終わりは意外と静かに

判を押すとき、と少し似た感想になってしまいますが、別れ話としては王道な気がします。人間って愛する方向、愛を表現する方向を間違えるとすれ違いになっていくのでしょう。はじめはお互いの方向を向いていた愛が仕事やストレスで少しずつずれていってしまう。はじめは言葉でメンテナンスし、修正していてもいつの間にか修復不可能なまでになる。壊れてしまったものは治せるかもしれない。けれど、壊れた事実は消せず、今まで以上に壊れやすくなってしまう。最後は木っ端みじん。砂のようできれいなのかもしれませんが、それはガラス片のように傷つけ、刺さり、残ってしまう。そんな悲しい作品でした。

 

・友

兄貴が家族への劣等感の話なら、こちらは友への劣等感の話でしょうか。仲の良い友人であればあるほど、劣等感はなりを潜めます。けれど、それは確実にそこにあるのです。けれど、時に認め合い、それを肴に酒を飲むのも友情です。自分じゃできなかったことを友に託す、託される。それは創造以上に重い十字架になってしまうのでしょう。託されたほうは友の分まで重い十字架を背負い、託したほうは自分ではできなかったという足枷をはめる。その先に待つのが重さによる軋轢か、重さを分け合う肩組みなのかはわかりません...ほろ苦いけど、それも悪くないような作品でした。

 

・今さら

幸せを願う嘘が下手のお話。ギャグ風味で明るい別れ話かと思いきや、最後に悲しい落ちが待っている話。そうせ別れるなら綺麗な嘘をつけ!と言われた男の不器用だけど儚く、美しい嘘のお話でした。

 

・最後の晩餐

愛を試されるお話。自己犠牲の究極の話。最後には自分の命がかけられるか。そんな話でした。基本的のは自己犠牲というの美しいが正しくないことが多いです。自分の命を投げ打つことができるか。自身を失くしてまで幸せを願うことができるのか。自己犠牲を行った後に残された人は幸せなのだろうか。そんなことを考えてしまう作品でした。

 

・LAST LOVE

恋愛には思っている以上に形があります。今日の舞台だけで9つの形を見る事ができました。そこには、愛している、愛していた、そして、この話のテーマであると思われる、今でも愛している。人間が一番愛を感じる瞬間はいつなのでしょうか。人によってさまざまな意見があるでしょうが、この話の中では、失った瞬間、であると考えます。人はなぜ、失った時に大切さに気付くのでしょう。それは、重さを失ったからだと私は考えます。失うことで、虚無感を、喪失感を感じることもあるでしょう。逆に重さがなくなったことによって自由感や、開放感を感じるかもしれません。しかし、どちらにしろ、あぁ、この想いは自分の人生にこんなに積もっていたのだなと感じるのではないかと思います。ずっとそこにあったもの。そこにあるはずだったもの。あっても気にかけなかったもの。あることが日常だと思っていたこと。人間は大切な物・事ほど当たり前に存在していると思ってしまう生き物です。本当はだからこそ大事にしなくてはならないことを理解しているのに。手から離れてしまった時にはもう遅く、最後は思い出に浸るしかない...愛とは哀である。そんなことを感じました。

 

今回は総じて、心に影を落とすエンドでした。だからこそ、改めて、普段の人生をもう一度見直し、今ある幸せを再確認しよう。そんな風に感じることができました。

 

今回、ダークでシャープでかっこいい福士さんでしたが、普段はファンのことをとても気にかけてくれる優しい方です。そういう人が今日の舞台のような楽しみを作ってくれることもとても幸せなことであり、それを再確認し、ちゃんと応えていこうと感じました。

 

ナシカ座さんは今後も東京公演はきっと通うことでしょう(ステッカーやっと買えてうれしかった!)。

今後はどんなお話しが見れるのか楽しみです。

 

今週はドタバタでしたが、どうにか今日も無事に過ごすことができ嬉しく思います。

来週も頑張ろう。

 

では、また。