リフレインの扉 感想

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本日は小道 るりか様 ご出演

 

リフレインの扉 

 

を拝見してきました。

 

北池袋!確か1か月ぶりくらいですね。

 

ここは迷わずに行けます!!(駅出てすぐ左だから)

 

時間にも余裕をもって着席できました。

 

舞台の内容を掻い摘んで話すととある演劇サークルの現在から見た過去を振り返るお話しです。

 

これの過去編の見せ方が本当に面白かったのです!!過去の状況的には卒業公演を間近に控えた時期のお話しなのですが、この時に実際に起きた事をなぞりながら、心情描写を舞台のセリフや内容として描き、それに現実がかぶさっていくことで2つのストーリーが混ぜ合わさっていくのです。今その人は素の自分なのか、それとも、演じている自分なのかが混然となっています。そして、ここで重要になっていくのが舞台の中の素の自分なのか、日常の中での演じている自分なのかという点です。

 

ここでは演劇サークルというくくりですが、これに限らず、組織の中というのは演じている自分というものが多かれ少なかれあると思います。最近では素の自分でいる事という事が働いていく上の価値感として重視されがちになっていますが、もし、この価値観が広まっていったとしても、組織というものに組み込まれている以上、役職という役の割り振りが行われます。役割を自分なりに落とし込むこともお大事ですが、そうであっても、最終的には周りの評価が付きまとうことになるのです。評価として人から見たその人の役割、自分の評価、あるいは性格という役割、それは時に乖離することも少なくはありません。

 

今回の舞台では台本が人から見た評価としての役割でした。人からの評価は時に自分の見たくない本質を抉りだし、見たくない自分を露出させます。それを演じることになる、それは面白くないのでしょう。しかし、台本自体は他人の評価をしたかったのではなく、自身への不満や問題点として書いたという話が出てきます。ここで注目したのがるりかさん演じるアサヒが舞台内での役割である竜ケ崎は1人だけ異なる目標を持っています。その他の人物はリフレインの扉という概念に踊らされているのですが、なぜ竜ケ崎は異なるのでしょうか。自分はこれをすべてをやり直したいためであると考えました。アサヒは脚本家としての観察眼から人が必要以上に診えてしまう、要は余計なところまで観察してしまうことができるといった描写があります。その目はきっと演劇サークル内の濁りも見えていたのでしょう。リフレインの扉は時間・時空を飛び越えて行き来できる扉という設定でした。それを自分以外には目指させた。これは過去をやり直し、現在を変動させたいという意思の表れであると思います。アサヒは自身が演じる竜ケ崎をその他が演じる4人とはほとんど絡ませず、キャプテンキッドという別の目標を掲げるキャラにしました。これを考えるうえでカギになるのは彼女がサークル内で最終的に悪者を演じようとしていた事であると思います。彼女は自分はいなくてもいいから、4人には良い関係を保ちやり直してほしい。そして、自身は別に理想の演劇サークルというキャプテンキッドを追い求めるという考えだったのかもしれません。ですが、彼女も理解者が欲しかったのでしょう。竜ケ崎が絡むのは自身が覚えているだけでは時の旅人だけです。カイだけにはわかっていてほしかった。一番演劇と自分の書いた台本を好きでいてくれるカイにはわかっていて、味方でいてほしかったのだと思います。最終的には全員が傷つけて、傷つけあって、結末だけは先延ばし。そして、見ないフリをしたのだと思います。最後は現代に戻り、もう一度リフレインの扉を探すことになります。その先のやり直しはどこに続いていくのか、それはそれぞ野の観客が感情移入した人物のその先の物語になるのだと思います。

 

人間は最終的には何かしらの人物となるのです。それは残酷なことですが、生きていく上ではしかたのないことです。役割がうまくいかないこともあるでしょう。それでもなお、人は何を成しえるために、明日も役割を演じ日常を続けるのだと感じました。

 

初めての劇団さん、役者さんばかりで少し緊張しましたがとても楽しく拝見することができました。次も、楽しみです!!

 

では、また。